シカゴ経由でニューヨークへ
今回の旅もユナイテッド。予約を98年6月30日に入れる。 前回のラスベガスの旅で25,000マイル貯まった為、エコノミーゾーンスペック運賃でビジネスクラスを利用することにした。 事前座席予約で静かで落ちつける2階席の最前列12Aを確保した。8月17日出発の日。 11時にいつも通り、OCATでチェックインをする。 ここでこの旅最大の幸運が・・。カウンターでEチケットの紙、マイレージプラスのカード、パスポートを提出。 本来なら事前座席予約もしておりスムーズにBOARDINGPASSが出てくるのだが、カウンターの女性は端末としばらくの間にらめっこ。なんとかBOARDING PASSが印刷されて出て来た。ところが、彼女は何かを探しだした。私の目の前に、エコノミーとビジネスクラスのBOARDING PASSケースがあった。 私は、「ビジネスのならここにありますよ」と指差した。 その瞬間、カウンター下の引出しから何やら取り出し「ありました。お客様。ビジネスが一杯でファーストクラスになっています。座席は最前列の1Aです。」と言いながらファーストクラスのBOARDING PASSケースに入れてくれた。 おまけに、OCATでチェックインした人に(98年10月末まで)300円の利用チケットがもらえるらキャンペーン中でこれをもらい関空行きのバスに乗り込む。(1.300円のところチケットを使用して1,000円で済んだ) 空港ビルは、夏休みだけににぎわっていたが、出国手続の際、閑散としていてすんなりと出国。 13時50分ファーストクラスから搭乗開始。 確かにシートは分厚く、シート間隔が広い。ウエルカム・ドリンクでシャンパンを頂く。これがドンペリか。おいしい。14時20分。予定より5分遅れでイリノイ州シカゴへUA886便(747-400)は飛び立った。
さすがにファーストクラス。機内食は1品、1品の出てくる間隔が長く貧乏症の私には合わない。 約1時間強で食事は済んだが間隔が空いていたためか腹5分目といったところ。でも胃の為にはこれぐらいでいいかも。 後の楽しみは映画なのだが前回のラスベガスで見たものがほとんど。唯一メジャーリーグ3ぐらいだ。 このメジャーリーグは3本目の映画なので、その間寝る。 タイミングよくメジャーリーグ3の始まる前に目覚める。がしかし。このメジャーリーグ3だけは英語のみの放送。 石橋のセリフのところでは、わざわざ英語の字幕が入っている。なんかホッとする。 このメジャーリーグ3は、日本で封切り後、すぐに打ち切られただけあった最悪の映画であった。 こんなのでよく石橋はアメリカを目指し気になるなぁ。そんなことを思っていると朝食が配られて来た。 朝食が終わりアメリカ入国、シカゴ空港の紹介ビデオが流れる。アメリカ中部時間12時14分シカゴに到着。 シカゴは、サンフランシスコと違って入国手続きを終え荷物を取り、検疫を受ける手順なのだが、ファースト、ビジネスの荷物より先にエコノミーの荷物がターンテーブルに流れて来る。でもエコノミーの人は入国審査で行列を作っている。 当然ターンテーブルは荷物の山。3重4重になってしまう。なかにはこぼれ落ちる荷物も。 ファースト、ビジネスの客は唖然。待つこと10分。3重、4重になった所に自分達の荷物がくるが、取るのに大変だ。 女性は、まわりの男性の力を借りてどうにか荷物を手にする。私も自分の荷物が出てくるまでの間、日本人の女性5人分のカバンを取ってあげた。 自分のカバンを取り、検疫を通過してユナイテッド国内線に乗換えるにあたりカバンを再度預けなおす。 シカゴはアメリカの空港の中で最も乗降客の多い空港で日本で言えば新宿のようなところ。国際線ターミナルから国内線はトラムで移動。 国際線は第5ターミナルで国内線は第1、2、3ターミナルの3つがあり、ユナイテッドは第1ターミナル。 約5分で第1ターミナルに到着。ここで手荷物検査を受け搭乗ゲートそばのシートで待つこと1時間。いざニューヨークへ。 (シカゴでの1時間の間に日本人の女性一人旅をあちらこちらで見かける。) 全員の搭乗が終わり定刻通りニューヨークへと思ったのだが、滑走路に向かう途中、機長からのアナウンス。「ニューヨーク地区で雷雨が発生しておりラガーディア、ジョン・F・ケネディー空港が閉鎖されている。このためシカゴで待機する。」という内容のものであった。ビジネスマンは一斉に各シートについている電話を利用している。 シカゴ空港の隅で待つこと1時間強、機長から「グッドニュースが入って来ました。空港閉鎖が解除されたからこれからニューヨークへ向かいます。」こうして1時間30分遅れでニューヨークへ向け出発。 後で知ったのですが、本来なら乗客を空港内で待たせるのですが、シカゴで1機が搭乗ゲートを占有していると、続々と出入りする飛行機のゲート変更がものすがい数になり乗客も大混乱を起こすためこのような隅のところで待つ処置をシカゴでは取るらしい。もうすぐニューヨークというところで、雲が厚くなってくる。アナウンスが最終着陸体制を告げる。 11年ぶりのニューヨークは雨のお出迎えか。UA682便がまもなくラガーディア空港に降りようとしたそのとき、雲と雲のすきまから自由の女神を窓越しに見る事ができた。おもわずニッコリ。ニューヨークに着いた時、雨はやんでいた。
サークル・ラインでマンハッタン1周
マンハッタンの大きさを体感する為にサークル・ラインに乗ることにした。 ピア83から3時間をかけてマンハッタンを1周する。ちなみに料金は、22$だ。ピア83は、42丁目の西側のハドソン川に面している。 11時発のサークル・ラインに乗ることにする。座席は、すべて自由席。いい席を取る為、30分前に着いてチケットを買い列に並ぶ。20分前に乗船が始まる。乗船の前に記念写真をグループ単位で撮ってくれる。(有償12$?) サークル・ラインが常にマンハッタンを左にして進む為、めざすは、2階席最後方左側の席がベストだ。 夏の日差しを避ける為、屋根のない後方席を嫌った人が多く、なんなく最後方左側を確保。 汽笛が鳴り定刻に出発。案内は、英語、スパイン語で残念ながら日本語はない。 まずは、ハドソンリバーを南下。ちなみにハドソンリバーの対岸は、ニュージャージ州だ。
最初に目にしたのは、ピア52のドックに書かれたTAITANICの文字。ここで建造されたがご存知の通り二度とここに戻って来ることはなかった。
次にワールド・トレード・センターの横を通過。そして、最大の見所、自由の女神が表れる。 自由の女神に向かう途中、後ろを振り向くとロウァマンハッタンに林立するビル群が見える。
自由の女神を通過し、ここでUターン。今度は、イーストリバーを北へと向かう。 ロウァマンハッタンを左に見て、最初に潜る橋がブルックリン橋。このブルックリン橋は、 マンハッタンとブルックリンを始めて結んだ橋だそうだ。この辺りの夜景がフジTVの 「今夜、宇宙の片隅で」の中で使われている。続いてエッフェル塔に似た装飾がほどこされている マンハッタン橋が表れる。
エンパイアー・ステート・ビル、国連本部を左に見ながら進む。 この後、ワーズ・アイランド橋、トリボロフ橋をくぐり抜けしばらく進むと右側に、伊良部が所属するヤンキースのホームスタジアムが表れる。
マンハッタン島の最北端を周り、スペイテン・デイビル橋をすり抜ける。 この橋は、マンハッタンからメインランドへの貨物が利用していたらしい。 船が汽笛を3回鳴らすと、橋を回転して船を通していたが、今は使われていない。
橋をすり抜け再び、ハドソンリバーに戻る。 ジョージ・ワシントン橋を超え、最後に空母博物館を横に見てピア83に着岸した。
残念ながら連日メッツを観戦する為、夜景のマンハッタンを見ながら周る事ができなかったが川の上から見るマンハッタンも、また良いものである。
1998年8月19日ニューヨーク・メッツVSコロラド・ロッキーズ
11年ぶりにシェイ・スタジアムにやって来た。 背番号16は、ドワイト・グッデン(現インディアンズ)から野茂英雄にかわり、当時3番を打っていたダリル・ストロベリーは、今は伊良部の同僚。球場も改修されきれいになっている。 変わっていないのは青とオレンジのチームカラーとニューヨーク子の熱烈な応援。 そんな事を思っているとうちに、アメリカ国歌斉唱の時が来た。最近日本でもサッカー国際Aマッチや世界タイトルのかかったボクシングで歌手がアカペラで君が代を歌うことがあるが、MLBでは毎試合アカペラで歌う。今日は女性の歌手。うまい。今年のオールスターで歌ったカントリーミュージックシンガーのペイス・フィルに匹敵するほどうまい。さあいけメッツ。BELIEVE METS。 マウンドに吉井が上がった。何としても勝って欲しい。勝たせたい。そんな思いで応援する。大声を出せば十分吉井に聞こえるほどのすばらしい席だ。
実は、昨日ESPNで吉井、ジョンソン、野茂の先発不振組の誰か一人がマイナーに降格されるだろうと報道していたから、否応無しに応援に力が入った。今日のストレートは速い。これはいける。と思った瞬間、ホームランを浴びる。しかし、その後は、ストレートでカウントを取り、シュートで討ち取り、フォークで三振を取る。何とか点を取ってやってくれ!。ようやく5回に2点を取り逆転。その後も調子よく8回途中で降板したものの3ヶ月ぶりの勝利。これで首の皮一枚はつながった。勝利の瞬間となりの席の女の子とハイタッチ。明日も頼むぜメッツ。BELIEVE METS。ワイルドカードで2位のカブスと1ゲーム差となった
8月20日ニューヨーク・メッツVSセントルイス・カージナルス
ホームラン王と言うと、ベーブ・ルースの名前が頭に浮かぶ。アメリカ人もそう思っているに違いない。 ところが、シーズン最多ホームランを打ったのは、ヤンキースのロジャー・マリスと言う生涯275本?しか打っていないバッターだった。アメリカ人は、彼をホームランバッターと認めたくなかったようで、シーズン最多の61本のホームランは、60本のベーイ・ブルースより8試合多かったため、記録上60本とされていた。 これで、シーズン最多のホームランにベーイ・ブルースの名前は残った。しかし、1991年記録は訂正されベーイ・ブルースの名前は消えた。それからは、ただひたすらに、だれもが納得の行くホームランバッターの登場を待っていたに違いない。そしてその時は来た。マーク・マグワイア。通称ビック・マック。 今日、明日とダブル・ヘッダー。つまりマーク・マグワイアを4試合見れることになる。当然、スタンドは満員。 マイク・マグワイアが登場すると9割がたメッツファンのはずが大声援を送る。 そして、第1試合第3打席。レフトポール際へ50号ホームラン。スタンドは総立ち。ウェーブも起こる。 この50号は3年連続となりメジャー初となった。 この試合メッツは良いところ無く3対0でメッツは負ける。 第2試合、出た出た。51号は左中間へ。本当にすごい奴だ。世界で最もホームランらしいホームランを打つ奴だ。 しかし、ワールドカードでプレイオフ進出をめざすメッツに連敗は許されない。 ピアザが逆転のホームランを放ちメッツは勝った。 カブスがジャイアンツに勝ち、わずかに勝率の差でメッツがトップ。 明日は、野茂が登板する。吉井に続いて欲しい。打線の爆発を期待してシェイ・スタジアムを後にする。
8月22日ニューヨーク・メッツVSセントルイス・カージナルス
52,320人。超満員。マグワイア効果。 第1試合のマウンドに野茂が上がった。だがピアザ、マグワイアは連戦の疲れでお休みだ。ピアザがいない野茂は大丈夫だろうか。まずまずの立ち上がり。ところが2回にホームランを打たれペースが乱れる。 4回まで6つの四球を出すものの8三振で2失点。4回裏に2ランホームランで同点にしてもらう。 ところが、5回コントロールが定まらず四球を出す。ここでマウンドを降りることになった。 ものすごい数のブーイングが彼に浴びせられた。そこで解った。彼に対するメッツファンの想いを。 このブーイングは期待しているバロメータだ。なぜなら、ピッチャーがツーストライクを取ると三振を期待する手拍子が起こる。野茂への手拍子は、吉井よりもライターよりもリードよりもジョンソンよりも誰よりも大きいのだから。 今、彼はメジャー史上初のデビュー以来4年連続200奪三振の記録に挑戦している。 数年後、アメリカでホームラン王と言えばマグワイア。三振奪取王と言えば野茂英雄と言われることを私は期待している。
試合は、メッツの後続ピッチャーが打たれ10対5で負ける。 マグワイアは、9回代打で登場。2塁打を放つがホームランはなし。
第2試合。ピアザ、マグワイアがスタメンで登場。盛り上がり始める。 1回表、マグワイアが打席に立つ。ピッチャーがボールを投げる瞬間のフラッシュの数はすごい。 2ストライクに追い込まれるとメッツファンから三振を期待する手拍子が起こる。 空振りの三振。次の瞬間まるでメッツが優勝したかの様な喜びようである。この試合、この喜びが3回続いた。 試合はメッツが勝ち、この4連戦2勝2敗。カブスがソーサのホームランなどでジャイアンツを破ったため、ワイルドカードで勝率の差で2位となった。
メッツとヤンキースのワールドシリーズ対決を期待してシェイ・スタジアムを後にした。
アメリカ誕生の地フィラデルフィア
アメリカ東海岸に旅した人でもフィラデルフィアに行ったことのある人は少ないのではないだろうか。 アムトラックのメトロライナーでニューヨークから約1時間20分、ワシントンDCから約2時間のところにフィラデルフィアはあります。
ここは、1776年7月4日の独立宣言、1787年の憲法制定の舞台となった場所です。 そして、映画「ロッキー」の舞台となったことでも有名です。 しかし、残念ながら日本での知名度が低いのかガイドブックでもあまり情報がないので行き当たりばったりの旅は始まりました。
ニューヨークを朝8時のメトロライナーに乗り1時間20分でフィラデルフィアの玄関口である、ペンシルバニア・セントラル駅に到着しました。ちなみにニューヨークからここまで71$です。飛行機を利用することも可能ですがマンハッタンから空港への移動時間とタクシー代を考えれば、アムトラックが最も適していると思います。
ペンシルバニア・セントラル駅
この日のフィラデルフィアは、曇っていて半袖では少し肌寒い天候でしたが、歩きまわるには調度よい。まず映画「ロッキー」で最も印象深いフィラデルフィア美術館を目指すことにした。 ところが位置関係が解らず、とりあえず高層ビルが林立する市内中央に足を進めた。 シューイルキル川を渡り、少し下り坂となる。テンポよく歩いていると観光用の看板を見つける。それは、フィラデルフィアの観光名所と現在の位置が地図上に示したものであった。これは助かる。 これで、フィラデルフィア美術館の方向を確認し歩くこと20分で到着。 美術館を背にフィラデルフィア市内を見つめる。ここに来たいと思って20年。やっとたどり着いた。頭の中にロッキーのテーマが流れる。
町のいたるところに地図の表示がある
フィラデルフィア美術館を後にした私が次に向かったのが自由の鐘。あの地図看板を見ていけばなんなくたどり着けた。歩いている途中でふと思った。人通りが少なくマンハッタンに比べ歩きやすいと。それに静かに時間が流れている感じだ。 自由の鐘は、建物の中で保管されている。入場料は無料だ。 この後に向かったのがインディペンデンス・ホール、アメリカ2番目の銀行、カーペンターズ・ホール、国内最古の銀行。実は、国内最古の銀行の前にインディペンデンス・ビジター・センターがありここで地図がもらえたり、案内を受けることができる。また、ここでアメリカ独立宣言書を売っている。
インディペンデンス・ホール1776年7月4日独立宣言、1787年の憲法制定の舞台
自由の鐘独立宣言の時に高らかに鳴り響いたが、ひびが入り残念ながら今は鳴らない。 「ここにすべての土地の住人に独立を宣言する」という文字が刻まれている。
アメリカ2番目の銀行1824年に建てられた。現在は、独立戦争当時の人物の肖像画 美術館となっている。入館料はないが、2$の寄付が必要。
アメリカ最古の銀行ギリシャ風の建築で1795年に建てられた。
カーペンターズ・ホール1770年当時の大工組合の集会所として建てられた。1774年には、 植民地の権利をめぐる大陸会議が開かれた。現在は、大陸会議に使われた椅子や古い大工 道具などが展示されている。入館料は無料。
フィラデルフィアは小さな町です。美術館などを見ないのであれば、1日あれば十分です。 ちなみに私は、14時47分のメトロライナーでフィラデルフィアを後にしました。 滞在時間は4時間27分でした。私は歩くことにしましたが、馬車に乗って観光ポイントを案内してくれるツアーもあります。また、ニューヨークからJTB・USAが週に2回(日、水)ツアーがあるようです。東海岸に行かれる際、アメリカの原点フィラデルフィアに行ってみてはどうでしょうか。